GINZA SIXに銀座平翠軒がオープンしました [旬の旨いもの]
倉敷にある平翠軒の銀座店です。
国内外の食の職人が作った美味900点が並んでいます。
北海道は紋別の燻製職人、安倍哲郎が作ったサバの燻製もあります。
立原位貫さんという木版画家の作品が飾ってあります。
購入できませんが、心に響く作品です。
三重県紀北町で採れた白石湖産の渡利カキ [旬の旨いもの]
「海のミルク」と呼ばれるだけにカキは海水で育てられている。
これまで各地のカキを食べたり、取材してきたが、
ときに淡水になる汽水湖で生産しているカキを初めて食べた。
三重県紀北町にある白石湖で育てられている「渡利カキ」だ。
白石湖は熊野灘と接しているのだが、船津川と銚子川の清流が流れ込んいる。
*右が,熊野灘。中央の窪んでいるのが白石湖だ。
熊野古道で知られるこの地域は雨が多い。
取材に行った2日前、三重県を襲った台風19号の影響で
白石湖の水はほぼ真水。
船に乗り、あちこちで水をなめてみたが、まったく塩気がなかった。
こんな淡水でカキを育つことができるのだろうかと心配になったぐらいだ。
熊野灘の海水が入ってくると、カキはプランクトンを取り込む。
取材日のように淡水だと、殻を閉じ、じっと耐える。
そのため、エネルギーになるグリコーゲン(糖分の一種)を貯めこむため、
渡利カキは甘みを増すのだそうだ。
生産者の畦地水産の畦地宏哉さんによれば、
渡利カキはフライにすると、その特徴がはっきりするという。
地元の喜久寿司に伺い、渡利カキのカキフライを食べさせてもらった。
海水を含む量が少ないせいか、カキ特有のエグミや苦味がない。
名物のカキの佃煮を使ったカキ寿司もいただいた。
ワサビの代わりに、洋がらしを塗るのが特徴だ。
カキ寿司はカキの養殖業者が保存食として作っていたという。
後日、畦地さんに殻付きの渡利カキを送ってもらった。
取材時はまだ粒が小さく、食用には適していなかったからだ。
生で食べると、よりこの汽水湖で育てられたカキの特徴が明確になる。
カキのキモが持つ苦味がまったくない。
むき身も届いたので、カキフライを作ってみた。
甘いし、エグミがない。
ときに淡水になる汽水湖で、
まるでいじめられるように育てられたカキは、
海水で育成されたものとはひと味もふた味も異なる。
12月10日発売の『旅の手帖1月号』の連載「食べ旅」で取材しました。
あたりました! サントリー角ハイボールを6本ゲット [旬の旨いもの]
先月中旬から下旬にかけて、京都をぶらぶらしていたと思ったら、
帰宅後は自宅でゴニョゴニョしていました。
そうしたら、あっという間に8月になってしまいました。
光陰矢のごとし。
デブログをまったく更新していないことに気づいたら、8月7日になっていた。
とにかく家でゴニョゴニョしていただけなので、何も書くことがない。
と思っていたら、大ニュース。
フェイスブックで募集していたサントリーのプレゼントが大当たり。
角ハイボールが6本あたりました。
些細なことですが、ちょっと嬉しい。
以前はサントリーから届いたメールで応募したら、ワインを1本ゲット。
応募しないと当たらない。
ひょっとしてついているのか?
宝くじでも買ってみっか。
冷たい郷土料理 [旬の旨いもの]
『散歩の達人8月号』の特集は夏グルメ。
その中の「冷たい郷土料理」というページを担当させてもらいました。
冷たい郷土料理というと、真っ先に宮崎の「冷や汁」を思い浮かべます。
調べてみると、全国各地で冷や汁が食べられています。
冷や汁はご飯にかけるものが主流ですが、
埼玉にはうどんのつけ麺にする冷や汁もありました。
盛岡冷麺も冷たい郷土料理です。
といっても、もともとは冬に食べることが多かったそうです。
福井が生んだおろしそばも有名です。
そば汁に大根おろしのおろし汁を入れているため、ピリッとした風味が愉しめます。
23歳の頃、鹿児島で食べた白くまも旨かったです。
今回、日比谷で食べられる白くまも登場します。
その他、外房の冷や汁なども紹介ました。
乞うご期待。
散歩の達人8月号は7月19日発売です。
50品種のトマトが届きました [旬の旨いもの]
先日、ある方がトマトを送ってくれました。
自家菜園で露地栽培した無農薬のトマトです。
トマトというと、桃太郎を思い浮かべますが、
届いたトマトは形も色も大きさもすべて異なります。
添えられていたメモ書きには50種類のトマトを収穫したとありました。
品種が記載されていないので、どれがなんというトマトなのかわかりません。
あれもこれも鍋に入れてソースを作ることもできますが、
それぞれの味を愉しみたいので、そのまま食べています。
もちろん、拙宅だけでは食べきれないので、近所におすそ分けしました。
取材先でご馳走になった逸品の数々 [旬の旨いもの]
取材対象の料理は、実際に食べないと原稿を書けません。
なので撮影後、「食べていいですか」と断ってから頂くことにしています。
ところが、取材対象の料理以外にも、
「これも食べてみてよ」といわれて、ご馳走になることが多々あります。
取材対象の料理を食べている(取材前、昼飯も食べていることも)ので、
そこそこ腹がふくれているはずなのですが、
うまそうなので、つい手が出てしまいます。
これは中央区のそば屋で出された一品。
肝心のそばを食べたあと、
「お昼の残りで悪いけど食べてみて」
とご主人が出してくれました。
シマアジの漬け丼。
そば屋が出すレベルの料理ではありません。
うまかったなあ。
房総の魚料理専門店で出してくれたセグロイワシ三昧。
セグロイワシの刺身。生姜醤油で食べました。
セグロイワシの唐揚げ。ポン酢がかかっていました。
セグロイワシのヅケ。
セグロイワシは足が早いので、漁港のそばでないと食べられないそうです。
銀座の郷土料理店の女将さんが出してくれた梅の炊き込みご飯。
紫蘇も入っていました。
「暑いときはさっぱりとしていておいしいのよ」
女将さんの言う通り、うまかったです。
香川産ホワイトアスパラガス [旬の旨いもの]
ヨーロッパで春を告げる野菜といえば、ホワイトアスパラガスです。
以前はフランスからの輸入物が主流でしたが、
近年は国内でも旨いホワイトアスパラガスを生産する農家が増えてきました。
高松市郊外でうえむら農園を営む植村隆昭さんも、そのひとりです。
昔、雑誌『料理王国』で長崎でホワイトアスパラガスを栽培している農家を
取材したことがあります。
ホワイトアスパラガスもグリーンアスパラガスも同じ品種です。
太陽を浴びないように遮光して育てたのがホワイトアスパラガス。
長崎の農園では、ビニールハウスに何重にも生地をかけて遮光していました。
ビニールハウス内は真っ暗なので、ヘッドランプの灯を頼りに作業をします。
一方、植村さんは ビニールハウスの中に畝を作り、
その畝だけにある特殊な生地をかけて、遮光しています。
その生地をめくるだけで収穫できます。
ビニールハウスの中で採れたてをご馳走になりました。
水分を多く含んでいて、みずみずしく、旨いのなんの。
うえむら農園のホワイトアスパラガスを愛用しているシェフが
いるというので紹介してもらいました。
「麻布長江西麻布店」のオーナーシェフだった長坂松夫さんです。
長坂シェフは麻布の店を4年前、弟子に譲り、
香川市郊外に「長江SORAE」を開業。
目の前に瀬戸内海を望む、最高のロケーションです。
長坂シェフがうえむら農園のホワイトアスパラガスを使った料理を2品作ってくれました。
一品が、白露鮮鮑(ホワイトアスパラの鮑黒豆ソース)。
もう一品は、鮮露干貝(ホワイトアスパラ干し貝柱蒸)です。
いま発売中の『旅の手帖5月号』で連載中の「食べ旅」で取材させてもらいました。
山口瞳さんも大好きだった豆ご飯 [旬の旨いもの]
今日のお昼は、妻が作ってくれた豆ご飯のおにぎり。
ちょっと塩がきいていてうまい。
豆ご飯が大好きなので、おにぎりも大好物。
直木賞作家の山口瞳さんも、豆ご飯が大好きでした。
奥様の治子さんからその話を聞いたことがあります。
以来、豆ご飯を食べる度に、山口瞳さんを思い浮かべるようになりました。
キュルノンチュエの創業者、山岡準治さん [旬の旨いもの]
自分が中途半端な奴なので、ひとつのことに、アホなぐらい、とことんはまってしまった人をとても尊敬しています。
そのひとり、飛騨高山で燻製工房「キュルノンチュエ」をはじめた山岡準治さんのことを書かせてください。
ミツワ自動車でポルシェのトップセールスマンだった山岡さんは、50歳を過ぎてから、食肉加工職人を志し、妻とひとり娘を都内に残し、単身で渡仏しました。
3年間、無給で燻製工房で働いた後、キュルノンチュエを開業。
2002年、小学館『サライ』の燻製特集で山岡さんを取材し、その後も仕事とプライベートで何度も話をさせてもらいました。
山岡さんが作る生ハムも好きでしたが、リエットも抜群でした。
そのなかでもカマンベールと同じ菌を用いた、白かびのソーセージはピカ一でした。
黒粒コショウがきいた白かびのソーセージはうちの豚児も大好きで、何度も送ってもらいました。
4年ほど前、弟子に燻製作りを任せ、引退。
鶴川の自宅に呼ばれ、二度ワインと手料理をご馳走になりました。
具合が悪いという話を奥さんから聞いていました。
いま出ている小学館の通販雑誌で、キュルノンチュエの記事を書かせてもらいました。
原稿を読んだ奥さんが、「これは中島が書いたものだ」と思い、入院中の山岡さんにもっていってくれたそうです。
本日、奥さんから「山岡が金曜日に死去しました」という連絡をもらいました。
縁あって、生前、最後の原稿を書く機会をいただきました。
山岡さんには、独立した弟子が3人います。
残念ながら師匠は死去しましたが、愛弟子がフランス仕込みの味を受け継いでくれるはずです。
山岡さんの愛車はフィアット・アバルトでした。
若い頃から、アルペンラリーに陶酔していた山岡さんは、70歳を過ぎてもアバルトで高山の山中をかっ飛んでいました。
あなたのような生き方は、真似ようと思っても絶対にできません。
でも、かっけーです。
山岡さん、あなたは永遠の不良少年でした。